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勾玉辞典

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勾玉の歴史(2)勾玉の消えた謎

勾玉は縄文時代から奈良時代まで身に付けられていました。
ところが、突如消えてしまうのです。
この謎を解く人物として、聖徳太子(574〜622)が挙げられます。 太子の幼少時代には胸にちゃんと勾玉がついている絵がいくつも残っているのに対し、 成人になった太子には勾玉を身に付けている絵や像は何一つないのです。
いったい何があったのでしょうか?

この時代は蘇我氏と物部氏の2大勢力の時、この両家ともに勾玉について深い知識と理解があり、 蘇我氏は5世紀後半から6世紀前半、奈良県樫原市の蘇我遺跡に大規模な勾玉の官営工房をもっていまた。
また、物部氏は三種の神器より前からあると考えられる、十種の神宝と言われる物を扱い勾玉の使い方を 伝授されていると言われています。いずれにせよ、両家とも勾玉を重んじていたことは間違いありません。
ところが、蘇我氏は聖徳太子とともに仏教を広めていきますが、この時、世間では疫病が大流行し物部氏は 国神の怒りだと、お寺や仏像などを焼き払っていき、蘇我氏と物部氏は大きく対立してしまいます。
587年物部の守屋が戦に破れ物部の勢力は衰えていき、日本は仏教が広く信仰されるようになっていきます。
この時、神道的考え方の強かった勾玉は聖徳太子の手により自ら外したのではないのでしょうか?

聖徳太子の生存中に作られた仏像には、たくさんの勾玉をかけられたものがあり、 先祖からの宝である勾玉を仏に捧げたのではないでしょうか?
また、聖徳太子は603年冠位に階をつくり、個人の能力や功労に対し位を与える制度をつくりました。 この時、高位に元からいた貴族・豪族は勾玉をつけているのに、能力により位が上がっていった人達は、 勾玉をつけていないのは不自然であったのではないでしょうか?

しかし、太子が勾玉を外したのは、何より勾玉の力や使い方を知らなかった事が、1番の原因だと私は考えます。

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